【閲覧注意】とある家庭の話
まずはじめに。
この文章を読む方は、楽しい予定を決めてください。ご飯の準備をしてください。お風呂に入ってください。そして、少しでも辛い場合は読むのをやめて、まずは温かいお茶を淹れてゆったりとしてください。
とある家庭の話です。
私自身は家族に対して、恨みなどはなく「家族がそれぞれ幸福を追求していった結果、経済的にも精神的にも自立していなかった私が鬱になった」のは状況的に当然のことだと思っています。
人間には閾値があり、耐えれることと耐えられないことがあるので。
私は家族に対して何が強い感情はありません。それは人間には幸福追求権が認められており、緊急避難もあるからです。
緊急避難を責めることは難しい。皆、限界だったのです。仕方のないことだったなーと認識しています。
しかし、その上で言います。私の【この認識は異常】です。普通の思考回路ではありません。
そして、これは、ただ自分の家族の話をしてみたいなと思っただけなのです。家族の話をするのは普通のことで、憧れがあって、やってみたかった。それだけなのですが。
しかしながら、今から書かれる文章は精神を抉る可能性が高いです。
精神科に通う鬱病患者の家庭の話です。
具体的にいうと、物心つく頃には陰謀論にハマっている母(そして、統合失調症になる)と仕事にしか興味のなかった父、仲の悪い歳の離れた兄姉、虐待、教育ママ……といった感じです。
もしそのような家庭の方が読む場合はさらに注意してください。これはその中でも「運がよかった」ケースのはなしです。あなたが自分自身を責めそうになった場合は、読まない方が確実に良いです。
ご自身の心身の状態を考えて、ご判断ください。
物心ついた時には、母は陰謀論に傾倒していました。
家の中には謎の防災グッズが溢れ、母は「アポロ計画で宇宙人と密約を結んだのをNASAは隠している」だとか「ワクチンを赤ちゃんの時に早く打ったせいで、兄弟より劣っている」だとか「携帯から出る電磁波が〜」とかそういった感じでした。
わたしは家族がいう「穏やかで、お茶目だった母」を知りません。
わたしの知る母は毎日「運動神経と頭が悪いのは赤ちゃんの時にワクチンを早く打ったからだからごめんね」と謝る人です。
しかしこの頃が母が1番私のことを愛していたのではないかなと思います。
母は私のことをすごく劣った人間だと思っているのを知っています。私自身も客観的に見て、兄姉と比べると劣っていることは認めます。
私の母は教育ママという存在でした。
姉兄は国立大学の理系で院卒、ピアノはヤマハグレードで3級を2人ともとってました。運動神経も良い方で、県大会がーとか、何とか大会でーみたいな感じです。
よく知らないけど幼稚園からスポーツメインの昇級試験があるところ通ってて、水泳、バレエ、体操、あと何だったかな……あと3つぐらいやってたって聞いたけど、覚えてないです。あと幼稚園から塾と習字と硬筆とピアノと合唱と算盤やってたのは知っている。習字と硬筆と算盤は級だか、段だかとってた気がする……。
私は習い事したのピアノと水泳だけですね。ピアノに関しては間違えるたびに叩かれたのに反抗して、一切練習しなかったのでできません。水泳は好き。
私は、進学校には普通に進学ぐらいですね。母が思っているよりかは良いんだろうけど、フツーですフツー。
大学は志望校落ちて、私立受けてないから浪人かなって思ったら、私の知らないところで親がセンター試験だけで受かるところ申し込んでて、私に一切相談なく進学する大学が決まっていたときは、めちゃめちゃ笑いました。親、学部すら覚えてないんですよ。入学式で、学部がわからなくて確認してもらった……って生徒、日本全国探して何人いるんだろ。
上記の通り、姉や兄は習い事をいっぱいしていたのですが、部屋にランキングが張られてたのを覚えています。初めて歩くのに何日かかったのか、初めて言葉を喋るまでに何日かかったのかから始まって、兄と姉の習い事の成果のランキングでした。
部屋の壁にびっしり貼られたランキング表を未だに覚えています。
資格をどちらが先に取るのか、運動会の順位は、テストの点は、毎日行われる50m走、百ます計算、母の作った小テストの結果……
姉と兄はライバル(良い意味ではなく)として育てられていたので、仲が悪くなるのは当然だったんじゃないかなと思います。
(今は、兄と姉がおとなの関係を築けているの、本当に意味がわからないぐらいすごいと思う)
私にとって、兄と姉は知らない人です。
歳がかなり離れているのと、習い事をいっぱいしていたので起きている間に家に帰ってこないんですね。
(わたしは自分の物心ついたのが遅かったと自覚があるのですが)
物心ついた時には、姉兄は大学に進学し、家を出ていました。
その時あたりから、母の陰謀論への傾倒がさらに深まっていきました。
部屋に溢れる防災グッズがさらに増えて行きます。
同時に父が仕事にのめり込んで行くのです。
小さい頃、ほんの3歳ぐらいの時だったと思います。どんぐりが好きだったわたしを公園に連れていってくれた父はもういませんでした。
私が起きるより早く仕事に行き、遅く帰ってくる父と話すことどころか姿を見ることさえ無くなっていきます。恐らくわたしは数年間父と話すことがありませんでした。
今、思えば「変わっていく母」が怖くて父は仕事に逃げることでしか、きっと精神を保てなかったのでしょう。仕方のないことです。私は父が仕事に逃げてくれたことを最善だと思っています。
その判断は正しいのです。
身を守る時に距離をとった人を責めることは私にはできません。というか、父が防衛本能でそのように動けたことの、生きる力があるな!って思いました。
父が知る母は、穏やかで料理上手なひとだったそうです。
結婚する前に、毎日電話をして1時間ぐらい話すのが楽しくて結婚を決めたそうです。
私はピアノが下手だったので、練習で母に叩かれたなーみたいなことを話したことがあります。大人になってからです。
父の知る母はそんな人ではなかったそうで、信じてもらえることはありませんでした。父には受け入れ難いことだったのだと思います。
中学校の頃です。子宮頸がんワクチンを学年全員が受ける中、たった1人、母の許可が降りず、教室で待っていた日をたまに思い出します。
私のお母さん、もしかしてなにかおかしいのでは……そう強く思った日です。
ずっと、ずっと違和感は感じていました。
あの教室に取り残された日のことを忘れられないのです。
この頃から「交信しているの……」とか「声が聞こえて教えてくれる」といった今思えば統合失調症だと思う症状が出てきます。
父が単身赴任することになった日を覚えていません。そもそも会うことがなかったので。
わたしは当時携帯電話を持っていませんでした。家に固定電話はあったものの、父の電話番号など知りませんでした。
完全に、母と2人きりの生活が始まります。
「産みたくなかったのに産まれてきた」
「(兄姉と歳がかなり離れているので)おろすか迷った」
毎日そう言われていました。
これは存在否定という親がやってはいけないことの一つだそうです。
私の感想としては「あ、そうなんだな」です。
大人になって兄に、このことについて尋ねたことがあります。
「〇〇が生まれたとき父と母の仲が悪かったから、【かすがい】として子供が欲しかったんじゃないか」
そんな返答をもらいました。
私の感想は「あーそうなんだー」です。
正直、この言葉で苦しんでいる人に私は何も言えないのです。私はこの言葉で傷つくことがないので。
(精神疾患を持った家族と暮らす上でつらいと言われることで、あまり、わたしはつらいと思ったことがないのです。どうしたら辛くならないですか?と思うかもしれません。しかし、これは私の精神構造的問題なので、誰かの参考になることはありません。そして、あなたが辛いと思えることは普通のことです。)
統合失調症の家族と話す上で、辛いと言われることの話をします。
単純に言えば、暴言を吐かれることです。
「病気が言わせている」という言葉があります。
端的にいえば、それは患者が今幻覚などに囚われていて、そのせいで……みたいなはなしです
それは、50%の回答です。実際は違います。
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_into.html
厚生労働省のみんなのメンタルヘルスから引用させていただきます。
「統合失調症の幻覚や妄想には、2つの特徴があります。その特徴を知ると、幻覚や妄想に苦しむ気持ちが理解しやすくなります。」
とありますが、これは個人的にはそうではないと思いますね。統合失調症の人の苦しむ気持ちへの理解は進みません。統合失調症の家族を助ける文章でもありません。この文章は、統合失調症について、きっとなんとくググった人がそうなんだと思う文章です。
しかし
もし統合失調症の家族がいる方が読んでいるのなら読み飛ばすべきだと思うと同時に、あなたがあなたを守るために知っておく文章でもあります。
「第1は、内容の特徴です。幻覚や妄想の主は他人で、その他人が自分に対して悪い働きかけをしてきます。つまり人間関係が主題となっています。その内容は、大切に考えていること、劣等感を抱いていることなど、本人の価値感や関心と関連していることが多いようです。このように幻覚や妄想の内容は、もともとは本人の気持ちや考えに由来するものです。」
暴言の中身は「中途半端に、もしくは完璧に、記憶が混じった、家族のトラウマをえぐる話」です。
それが「もともとは本人の気持ちや考えに由来」すると、知ってしまうのは、人によっては辛いのかもしれません。
私は今現状、「母の劣等感」をしっています。ああ原因はこれかと納得しました。
母の病気が悪化するタイミングを私は予測することができます。それは母の劣等感と大切に思っていることを知っているからです。
母は私のことを名前で呼ぶことは無くなり、そもそも「私」を娘と認識しなくなっていきます。
兄なのか、姉なのか、それとも父なのか、それとも母の兄弟なのかわかっていませんでした。
そして2011.03.11。東日本大地震が起こります。
今まで信じていた陰謀論が肯定されたように感じたのだと思います。さらにのめりこんでいきます。
高校生の時でした。
母が限界を迎えます。幻覚幻聴、妄言以外の話をしなくなりました。
暴れる母を取り押さえたり、探しに行ったり、していく中もう無理だとなったのです。
病院に無理矢理連れて行くことになりました。
そして入院が決まりました。
そこまではまあ、良かったんですよ。
「誰も助けてくれない、世話をされない生活を自分でなんとかするしかなくなっていく」のがさらに加速していくんですよね。
統合失調症、陰謀論に傾倒した親を持つ子どもたちにとって、わたしはこれが一番問題なのではないかと思っています。
母と二人暮らしなのです。私は学校に通いながら母の世話をしなければならないのです。
成績は落ちました。1番得意だった教科のテストで赤点を取りました。その教科では学年で一位をとったことがあります。学校の先生にどうしたのかと尋ねられました。
その時助けを求められなかった理由は明確に答えられます。
「父が、姉が、兄が、みんなが母が統合失調症であることを隠していたから」です。
絶対に言うなと言われていました。
大人になって、高校の先生とあったことがあります。成績が良かったのに落ちていく、宿題を提出しなくなっていく、授業の間眠るようになっていったわたしは学校の問題児で何度も会議の議題になっていたそうです
なぜか正直に実はと打ち明けました。
その時、先生に言われた「その状況だったら保護していた」を忘れられません。
あ、わたしってそんなにやばかったんだと。
私の高校には寮制度があったそうです。一人暮らしに近いことを理由に、学校側から寮にいれるように指導できたのに、と悔しがってくれたことが本当に嬉しかったです。
わたしには勉強をする暇などありませんでした。寝ている時に、ふと目が覚めたら母が枕元でずっとこちらを見ていたことがあります。トイレに行きたくて部屋の扉を開けたらドアの隙間からこちらをずっと見張っていた母を知っています。段々と家で眠ることができなくなりました。
そもそも、家の鍵を持つことがわたしには許されませんでした。自分で勝手に家から出れないように、です。
それから、家族に出来るだけお母さんと一緒にいて欲しいと言われたことを覚えています。部屋に籠らないで、一緒にいてあげて、お母さんの様子はどう……。
もし、あなたが統合失調症の家族であり同居していない人間で、もしその言葉を言ったことがあるのであれば、私はこう言いましょう。
「あなたは加害者です」
側にいない家族から見て、母は穏やかに戻っていたように見えていたことを知っています。
しかし、薬を飲まない母を力尽くで抑えて飲ませる様子を見たことのない人間に、あの時の壮絶さはわからないと思います。
母は料理や家事の好きな人で、病院から戻ると家事を普通に行えました。すごく運が良い家庭でした。それでも薬の時間が近づくにつれ、家の空気が重くなるのです。
わたしには夢がありました。わたしには学びたいことがありました。
そのためには成績というものが必要で、しかし私の落ちた成績は戻ることはありませんでした。
父にこう言われたことがあります。「もう、お母さん家にいて、家事とか色々負担がなくなったのに成績が戻らないのは何故か」と。
わたしは何も答えませんでした。
何を言っても、父を傷つけることになることを理解していましたし、父に何を言っても理解されないことを知っていたからです。
母にずっと監視されていて、母と穏やかに暮らす努力をずっとしなければならない中、わたしには勉強をする力がありませんでした。
客観的事実として、私の鬱病の原因は家族です。病院の先生から、家から逃げる方法を教えてもらったことを覚えています。
しかし今現在、私は家族と連絡を普通に取れているのはただの偶然です。そして、私の精神構造が普通ではないからです。
私は本を寄贈することが好きです。母校の中学の司書の先生が優しく、寄贈って本当は難しいんですが、色々掛け合ってくれて多くの本を学校にいれてくれました。
「知らないことは、知ることができない」
私の好きな言葉です。
わたしは勉強できなかったことが非常に今でも悔しいと思っています。
田舎と都会で学ぶ環境の格差があることを知っていますか?
端的に言えば予算の問題であるのだとは思います。
しかしながら、教育機会の均等は憲法上認められています。教育基本法を抜粋させていただこうと思います。
教育の機会均等
第四条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
そうあります。
わたしは転勤族で都会から田舎まで様々な学校に行きました。
都会から田舎まで住んだ感想として、圧倒的に田舎の方が図書館や資料館、科学館……そういた学ぶ場所が少ないことを子供心に感じました。
そして、子供一人で、行く方法が少ないことです。
都会であれば(親が電車賃を出してくれるのであれば)一人で行くことは可能でしょう。
しかし、そもそも田舎の図書館の近くに電車が通っているかと言われると運なのではと個人的に思います。私の知っているとある県立図書館の近くに電車はありません。
図書館は公共機関です。バスはあることでしょう。しかし1時間に1本。そんな状況ではないでしょうか。ふらっと何も考えず、思いついて行こうとして行ける場所ではないのです。
車で親が送ってくれる……そうでなければ行くことが難しい場所だと思います。
(現状都会に住んでるんですけど、田舎と都会の公共交通機関の交通費はびっくりするほど違います)
都会の学校の小学校から、田舎の小学校に移ったとき、図書室の大きさの違いに絶望したことを覚えています。
学年の人数であれば、田舎の小学校の方が多かったのにも関わらず、図書館の大きさが半分以下だったのです。
私は人の縁に恵まれて、TRPGという遊びを教えていただくことができました。
その言葉は私とって初めて聞く言葉でした。
私の大好きな母校の中学校は田舎にあります。
近くには、県内で2番目ぐらいに大きな本屋さんがありました。
その本屋に行ってみたところ、TRPGというコーナーはなく、母校の中学生に「TRPGを知っているのか」というアンケートを取らせてもらったのですが、知っている人はゼロに近かったのです。
何度も繰り返しますが「人間は知らないことは知ることはできない」のです。
TRPGはジャンルとしては「ゲーム」「遊び」に分類されるのはわかります。しかし、だからと言って知る機会がないことは、私にとって非常に悔しいことです。
私の母校には今、TRPGというジャンルの本棚があります。
司書の先生が掛け合って作ってくれた本棚です。
それが本当に嬉しいのです。些細なことに見えることでしょう。そしてこれは本当に些細なことです。しかし、私の母校の中学生は、一つ新しいジャンルを知ることができました。それが本当に嬉しいのです。
正直にいいましょう。兄弟が勉強できる環境であったことを羨ましく思います。兄弟にとって、勉強がどういったものであるのか知りません。しかし、わたしは羨ましく思っています。
そして、兄と姉が自分の生活を優先してくれたことを良かったと思っています。心から良かったと思っています。
何度も申しますが、私は人間には幸福追求権を認められていることを知っています。
そして、兄弟が家に帰らなくなったことも連絡を一切取らなくなったことも、緊急避難として認められることで、何一つ兄弟が悪くないと思っています。
私の兄弟は当時大学生でした。正直、何もしてくれなかった兄弟に小さかった頃は、どうしてと思ったことがあります。
しかし20歳になった時、いや無理だな!と思いました。20歳の子供がどうにかできる問題ではないと。
兄弟が帰ってきて、どうにかしようとしていれば共倒れになっていたな!と思います
あの時、兄弟が逃げる判断をしたことは正しいと心の底から思います。
その上で、もう一度もうします。
学ぶ機会がなくなったことが非常に悔しいのです。
どんな些細なことであれ、誰もが学ぶ機会がありますように、とそう思います。
田舎に住んでいて、言われたことで今でも忘れられない言葉があります。
「女の子で、しかも次女で、四年制の大学まで行く必要があるの」
これは同級生の言葉です。
おそらくは彼女が言われ続けていた言葉なのでしょう。
私が女で、次女であることが、四年生大学に進学したいということに何の問題があるのでしょうか。
ですが、実際問題として田舎では女であることが理由で進学が難しい。
女の子なんだから、短大で……、高卒で……よく聞く言葉でした。進学校であるというのに、です。
わたしは非常に運がよかったのだと思います。
母が統合失調症で、成績も悪くて、でも四年制大学に進学できました。学ぶ機会をもらうことができました。金銭的にも余裕のある家庭で、本当に良かったと思います。
そのことを本当にありがたく思っています。
そして。
わたしは家族の中で「生贄」として、作られ、そう扱われたことを理解しています。
わたしという生贄を作り壊れるまで、消費したことで私の家族がどうにか現状、建前上穏やかな関係を維持できるようになったことを理解しています。
わたしは大学生の時、一人暮らしをしたのですが、一人暮らしをするにあたって一番最初にしたことは精神科を調べることでした。自分がいつ壊れてもいいように、お金と地図と電話番号と……その他もろもろを玄関に置くことでした。
家からある日出られなくなりました。
どうしても玄関を開けられないのです。その時の感想は、「わたしの耐久力ここまでかー」でした。
玄関に置いてあった、わたしのセーフティは使用され、わたしは心療内科に行き、鬱と診断されました。
わたしはそのことを家族に話す予定はありませんでした。きっと、私が鬱になったと言えば、家族は責められているように感じると思ったからです。
結論から申しますと、病院の先生とカウンセラーの先生に説得され連絡しました。
わたしは重度の鬱病にも関わらず、元気に見えるとよく言われます。
実際どうかは知らないのですが。
わたしは私が鬱になったことを自分の耐久力読み間違えたなーとしか思っていません。
最初に申しあげたのですが、
「家族がそれぞれ幸福を追求していった結果、経済的にも精神的にも自立していなかった私が鬱になった」のは状況的に、当然のことだと考えているからです。
しかしこれは「異常」な考えです。普通はそうはならないでしょう。
【もし「生贄」の立場の方がいらっしゃるのであれば、あなたが「家族を憎んでいたり、嫌っていたり、それから愛していたり、その他色んな感情を持っていること」のは【普通】であるので、ご自身を責めないでください。何度も申しますが「私の考えの方が異常」で、なおかつ「わたしは非常に幸運」なのです。】
第一に【「生贄」が金銭的に自立するのことの難しさ】を幸運にも私は知りません。
家から出ようとすれば、必ず「生贄の家族」は生贄がいなくなった際の自分への負担を恐れ、生贄が生贄でなくなることに対して、全力で足を引っ張ってくる可能性が高いことは理解しています。
しかし、私はたまたま偶然、運良く経済的に自立することが容易にできました。
本当に、単に私は「運がよかった」ケースなのです。
第二に私は「私が感情で判断することが嫌い」な人間であるからです。
自分の感情を全て放棄して、考えることが得意だからです。それから、家族に対して何一つ感情を持っていないからです。
ただそれだけです。
これは運が非常によかった人間の話です。
もし、私が「感情で判断するのが好き」なタイプだった場合どのような地獄が起こりうるのか考えようとしたことがあります。
「たぶん、もっと前に壊れていたな」という結論しか出ませんでした。
出来るだけ、ライトに書いたのですが、ひどく心に(あなたが気づいていなくても)ダメージを与えている可能性があるのでここまで読んでしまった人はまずお茶を淹れてください。ご飯を食べてください。お風呂に入ってください。寝てください。
よろしくお願いします。
最後に、ただ家族の話をしたかっただけなんですけど、難しいなと思いました。
以上。